さてオフィシャルアルエド映画観てきましたシャンバラ祭り「まとめ」。
ここを開いた方は、ちゃんと映画を鑑賞済みですね?ネタバレありですから、観てない方は
すぐに引き返して、映画を鑑賞してから改めてここにいらして下さいませ。
「鑑賞済みだオッケー!」と仰る方々はスクロールしてご覧下さいませ。
注意その1 : 結局感想になっていません。
…………いいのか管理人。
と、とりあえずはなんとなく下方へ。
● メインキャラ語り。
エドは本来能動的な性格のはずですが、映画では受動的で、周囲に翻弄されている印象すら
あります。ところが蓋を開けてみたら物事はすべて彼を中心に動いていたという、逆転台風の目。
あれだけ皆から過剰に感情を寄せられたら、そりゃ「そんなもの要らないんだ」なんて台詞も
出てくるというもので(笑)
帰りたいと言ったり帰らないと言ったり、その時々で意見を翻すので精一杯身勝手に見えますが、
彼を取り巻く状況と情報がどんどん移り変わっていくわけですから、意見が変わるのは当然なん
ですよ。物語の最初では、エドは「もうそろそろ諦めてもいいんじゃないのか」と思いかけていたのが、
アルと再会して「いや、やっぱり諦めない」、でもいざ門を開けばアメストリスに災いがあると知って
「だったらやめた」。
こうしてみると、兄さんらしいシンプルさだと思いませんか。
● アルは映画の中ではグラトニーの次くらいに本能のままに行動してた気がしますが(汗)
というか、一番迷いなくひたむきに最終目標を追いかけてましたよね。(最終目標=兄)
しかも基本=ヤンチャ。
あまり分別のある慎重な弟では、うっかりアメストリス側から門を開こうなんて気紛れ起こして
くれないよな、という大人の事情をちょっぴり含んだ性格にこっそり作り変えられているような
気がするのはともかく。
実はテレビアニメの最終回のあと、私は「弟は今度兄貴に会ったら絶対2、3発ぶん殴ってやる
べきだ」と思っていたので(だって兄貴、全然弟に選択肢を残してやらないんですもの)最後に
鎧から出てきて「してやったり」みたいな顔をされたときには「よくやりましたアルフォンス君」と
心の中で拍手しました。
● 大問題ハイデリヒ。
どこから語ればいいんでしょうね彼のバヤイ。色々に思うところあるので、既にシャンバラ祭り3で
かなり語った気が。
いやまあ…何ですね。ラスト部分の彼の扱いについては、おそらく今更私が何を言わなくても
あちこちで取り沙汰されているのではと思いますけれど。
あれだけの短い時間の中で、あれだけの事件が次々に起これば、さすがの兄さんも余裕なく
なるでしょう、というフォローも空しいくらいの放置のされ方でしたね…。(倒)
ただし、だからと言っていきなり「兄さんは薄情者だ」と思えるほどには管理人は若くないわけでして。
つまりこれは、製作サイドと観客とが一番すれ違った部分なのだな、と思いました。
兄さんとノーアとハイデリヒで愁嘆場→兄さんが落ち込んでいたらなんと弟が登場→兄さん、何とか
それで悲しみをこらえて立ち上がる
…という流れが一番自然だったはずで、何ゆえあそこまで彼が居ないものとされてしまったのかは
謎ですね(汗)でももうそういう流れで作られて、公開もされたからにはいくら言っても詮無いことなので
やめておきましょう。
ただ、あの流れのせいでハイデ君が兄さんにないがしろにされていたとか、ハイデ君の死が無意味だった
と考えてしまうのはあんまりにも悲しいので、そこはなんとなくフォローしたい気持ちです。
なので別ページなどを→ 「あなたに、花を。」
↑ノーア。美人キャラはけっこう普通に無節操に好きです…。
● 「夢の映画兄&鎧の2ショットが見られた」「兄弟は再会できた」「ハイデ君の演技は予想
していたよりも自然でよかった」「弟は鎧になると天然ボケが入るのはなぜ」などなど、色々
嬉しかったこと突っ込みたかったことはありますが。
そして映画全体が良かったか、悪かったかは一口には言えないものなので、それは別として。
映画の全編をとおして、物語の根底には、それぞれに己の目指すものを追い求める流浪びと、
というテーマが流れているように感じました。それはたとえば自分のもと居た世界であり、自分の
生きた証であり、夢であり、希望であり、帰る国であり、野望である。
エドもアルも、ハイデリヒもノーアも、エッカルトも、皆ひとりひとりの異なったシャンバラを追って
いて、その部分ではひとしく旅人であり、流浪のものだったのだと思います。
ただ求めるものは違いすぎていて、彼らは決して相容れることがなかった。エドとアルでさえ。
…………そのためにあんな大事に(倒)!!
いやすいません、あまり長く真面目に語ると人格崩壊しそうで…。
正直、この先兄さんに必ず起こるであろう機械鎧のトラブルや、その他諸々を考えると、兄弟の
未来は安泰ではなさそうな気がしますが、今自分が踏みしめて立っている場所が、自分の生きて
いく現実なのだと自覚した以上は、すべてをはねのけて強く生きていってほしいです。
彼らがついに二度と故郷の土を踏むことなく天寿を全うしたとして、そのときに、この道を選んだ
自分を誇れますように。他の誰でもなく、自分のために。
月並みでも、心からそう願いたい。
2005/7/28