カントリー・ホーム



  どうも変だと思ったのは、汽車がイーストシティに入って、しばらく経過してから
だった。
 年末の、どこか浮き足立つような慌しさが漂う車内。目の前には、1時間も座って
いれば腰が痺れそうな、硬くて居心地の悪い座席をものともせずに、正体もなく眠り
こけている金髪のアメストリス国軍中佐。
 いや、そんな生ぬるい表現は、彼にはあてはまらない。ここはやはり、ド金髪と申し
上げるのが正しいだろう。金髪の多いアメストリス国内でも悪目立ちする長髪、無駄に
作りのいい顔は、本人にその自覚が皆無なぶん、ますます無駄だというお話。一応
四捨五入すれば30になる程度には年をくっているくせに、三度の飯より駄菓子が好き、
錬金術のお勉強はもっと好き、そして彼の実の弟のことはさらに好き。頭脳はとびきり
優秀、言葉使いと態度と目つきは素敵にチンピラ。
 我が上官ながら最悪、と呟いて視線を右隣に移すと、端正な顔立ちの、こちらも金髪の
国軍少佐が、車窓の外を流れてゆく風景を眺めているのが目に入った。視線にすぐ気が
ついて、口元に笑みを浮かべ、問うようなそぶりを見せる。この至近距離でそんな笑みを
向けられたら、女性などは一瞬でとろけてしまうだろうが、生憎自分には通用しない。
「エルリック少佐。少しお話してもよろしいですか」
「何でしょう、少尉」
「今朝からずっと考えていたことなんですが、今日の少佐は変です」
 端正金髪は目を丸くし、次いで大真面目な顔で、車窓に映る自分を覗き込んだ。
「いえ、寝癖がついているとか、目が片方青くなっているとか、そういう話ではなく」
「あ、違うんですか」
「違います」
 相変わらず、妙なところで天然ぶりを発揮してくれる。この優しげな顔の端正金髪は、
これでもアメストリス国軍で右に出るものはないとまで言われる武闘派だったりするのに。
「今日の少佐は、中佐に全然構ってません。変ですよね」
「変かな?」
「変です」
 きっぱり言い切ると、端正金髪は、今度は明らかに演技で目を丸くした。朝から感じて
いた違和感は、やはり気のせいばかりではなかったらしい。
 本来このド金髪と端正金髪の上官コンビは、昨日から年末休暇をとって、里帰りする
予定になっていた。それが突然の中央からの呼び出しと視察依頼で、急遽先延ばしに
なったと聞かされたのが、つい一週間前のこと。
 不平たらたらのド金髪を、彼の弟であるところの端正金髪とともになだめすかして汽
車に押し込み、中央に顔出しさせて必要書類を受け取らせ、駅に逆戻って視察先に
向かったのが、昨日の正午過ぎ。午後いっぱい仕事をして、その日は視察先の町に
一泊、今朝は8時きっかりに起床して、次の視察先に向かうべく移動中のはずなの
だが。
「どうして変だと?」
「昨日の少佐は視察先に到着するまでの間、汽車の中で中佐を何度もたたき起こして、
スケジュールと視察事項を説明なさってました。それなのに、今日は黙って延々寝かせ
たままです」
「今日の予定は昨日のうちに説明しておいたから」
「嘘ですね。中佐は明日覚えればすむことを、今日覚えるタイプの人じゃありません」
 言い切ったとたん、前方で吹き出す気配。向かいの座席で、眠っていたはずのド金髪
が、目を閉じたまま肩を揺らして笑っている。
「何だよアル、バレてんじゃねえか」
「僕のせいだけじゃないよ。兄さん、昨日はあんな文句ばっか言ってたくせに、今朝は
おとなしく汽車に乗ったじゃない」
「あれ、そうだった?」
「そうだよ」
「はい、そこまで」
 放っておくとはてしなく続きそうな会話をざっくり寸断し、眼前のド金髪と端正金髪とを
見比べて、先刻から一番気になっていたことを訊ねてみる。
「どっちがどうという話はさておいて、我々は今、いったいどこに向かっているんでしょう」
「どこだと思う?」
「リゼンブール?」
「冴えてる、さすが俺の部下」
「はあ!?」
 思わず声をあげると、ド金髪と端正金髪は、仲良く同じタイミングで首をかしげた。
「はあって、おまえ自分で一発正解しといて、その反応は何だよ」
「ちょっと待って下さいよ、本当にリゼンブール?」
「そう」
「あの、人間より羊の数の方が断然多くて、歩いても歩いても緑と空と土と水と丘しか
ない、アメストリス最後の秘境的ど田舎だっていう、あなたたちの生まれ故郷のリゼン
ブールですか」
「ひでえ言い草だなあ」
「俺が考えたんじゃありません、あなたが以前そう言ったんですよ」
 んなこと言ったっけ、とさらに首を傾げるド金髪の襟元を掴んで引き寄せると、端正
金髪は慌てたふうに周囲を見回した。汽車の中で、軍人さん同士が揉めている図と
いうのは、確かにあまりよろしくない。しかし、今揉めなくていつ揉めろというのか。
「この際それもどうでもいいんです。どうしてリゼンブールなんですか」
「どうしてって、みんなで里帰り?」
「あなたたち二人には里帰りでも、俺には関係ないでしょう!もしかして、飛び入りの
仕事は昨日一日で終わりだったんですか!?」
「そういうことになるかな。とにかく座れよ、この汽車この先3駅しか停まらないし、今
からじゃ時間的に遅くて、とんぼ帰りも無理だから」
「謀りましたね…!」
 舌打ちしても、彼の言うとおり、もう遅い。ド金髪の上官はこと視察という仕事が
苦手で、ひどく消耗するのを知っていたから、ずっと眠りっぱなしなのを黙認していた
のがまずかった。
「ま、固いこと言わずに東部まで付き合え。この際羊を視察しに行くとでも思ってな、
ロンウェル少尉」
 さっきまでの弛緩した飼い猫のような様相は一体どこへやら、座席にふんぞりか
えったド金髪――エドワード・エルリック中佐は、勝ち誇った笑みをうかべた。端正
金髪ことアルフォンス・エルリック少佐も、やや気の毒げなそぶりを見せてはいるが、
こちらの味方にはなってくれそうにない。
 半分崩れ落ちるように座席に腰を下ろしたマックス・ロンウェル少尉と、彼の友人に
して上官であるエルリック兄弟を乗せて、汽車は力強く東部へと向かう。あと2日で
今年最後の月が終わる日の午後、薄曇りの空の下を。


 リゼンブールに到着すると、エドワードとアルフォンスはテンションがた落ちのマッ
クスを引きずるようにして、ホームへと降り立った。顔なじみらしい駅長が軽く片手を
あげたのへ、兄弟揃って元気に挨拶をかえす。
「駅長さん、ただいま!」
「よう、お帰り。何だおまえら、軍服なんか着てるから、最初誰だかわかんなかったぞ」
「見違えた?いやー、仕事してそのまんま帰ることになったもんだからさ」
 いけしゃあとそんなことを言うエドワードの背後で、マックスはこっそり「嘘つけ」と
吐き捨てた。部下を騙すために、着る必要もない軍服をわざわざ着こんだだけのくせに。
「あれ、そっちの兄ちゃんは見ない顔だな」
「あ、こいつ、俺たちのトモダチ。マックスっていうの」
「…こんにちは、初めまして」
 紹介されては知らん顔もできないので、マックスは駅長に頭を下げた。自分ではいつも
どおりに振舞ったつもりだったが、テンションの低下が態度に現れていたのか、駅長は少
しばかり不審げな顔になった。
「どうした、暗い声だして。汽車に酔ったのかい?」
「暗い……」
「ああ、うん、マックスは汽車の長旅にはあんまり慣れてないから、疲れてるんだよ。それ
じゃ駅長さん、また」
 慌ててフォローしたアルフォンスが、マックスの背中を押す。そのまま三人で改札を通り、
リゼンブール村の土を踏みしめて、マックスは大きく息を吐いた。
「…中佐」
「ん?」
「どこにも建物がありません」
「歩いていきゃ、そのうち見えてくるって」
「ちなみに今日の宿は」
「おまえにしちゃ、とぼけたこと訊くな。俺たちの家に決まってんだろ」
「その家はどちらに?」
「あっち」
 兄弟が同時に、何やら前方の丘の方向を指差した。
「あっちって…」
「あのなマックス、ここはセントラルじゃないんだぜ?ナントカ通りとかカントカ通りとか、
しゃれた名前のついたとこなんか無いんだよ。あっちって言ったらあっち。リゼンブール
にはあっちとこっちとそっちと、ここしかないの」
 さらりと言われて、マックスはめまいを覚えた。何だか、えらいところに連れて来られた
気がする。
 汽車の中での兄弟の話によれば、そもそも今回のロンウェル少尉をリゼンブールに
お連れしちゃおう計画は、一週間前の里帰り延期決定の際に、エドワードが思いつい
たものらしかった。軍という所は当然ながら、基本的に年中無休で動いているから、
全員が足並みを揃えて休暇をとるわけにはいかない。エドワードたちが勤務している
南の国境も例外ではなく、長期休暇の時期には部隊の人間が半数ずつ、交替で休み
をとることになる。
 しかし、諸々の事情から、年間を通じて里帰りをしないマックスだけは、皆が休暇を
取っている間も半勤務状態のままで、南部の留守を預かる格好になっていた。もちろん
表向きは非番だが、アメストリス軍内でマスタング将軍の次に手がかかる、と噂される
エドワード・エルリックの面倒を完璧にみられるほどだから、部下たちが働いている傍で
そ知らぬふりができる性格とは程遠い。
 結局最終的には「ゴロゴロしてても暇なだけ」という理由でタダ働きを始める少尉を、
エルリック隊の連中は常々気にかけていて、何か休ませるためのいい口実及び作戦は
無いだろうかと、上官兄弟も交えて秘密会議をした結果が、これ。
「一体いつの間にそんな相談を…」
「早朝会議。おまえ、7時より前には絶対部屋から出てこないから」
「俺は今ほど自分の低血圧を呪ったことはありません」
「そう言うなよ、早起きが辛いのはおまえだけじゃないんだぜ?みんな頑張ったん
だから」
「そんな頑張り方しなくていいですよ。最初中佐が盛大に駄々をこねて、少佐と俺
とが二人がかりでついて行かなきゃ駄目だって状況を作ったのは、演技だったわけ
ですね」
「もちろん」
「参考までに訊きたいんですが、エルリック隊は全員喜んでこの作戦に加担しました?」
「いやあ、みんなが尻込みするのを、俺とアルが力ずくで加担させてな」
「そうですか、全員喜んでたんですね。休み明けはたるんでるでしょうから、気合を
入れるためにも、南部に戻ったら少し本気で隊を鍛えなおすことにします」
「力ずくだって言ったじゃん、信じろよ」
「そんなニヤニヤ顔で言われて、信じる奴がどこに居ますか」
 俺そんなにニヤついてる?と問う兄に、信じられないくらいニヤついてるね、と爽やか
な笑顔で答える弟。ギャラリーが居なければ、肩のひとつも抱きそうな雰囲気で、見て
いるほうはハネムーン旅行に同行させられた添乗員の気分だ。許されるなら今すぐ二人
まとめて木箱に詰めこみ、適当な遠方に発送してしまいたい。
「まあ、いいかげん慣れてますけどね…」
「なんか言ったか、マックス」
「いえ、こっちの話です」
 かぶりを振って、これから越えるらしい、ゆるやかな丘を見上げた。右を向いても左を
向いても、南部のどぎつさ鮮やかさとはまったく異質の、けぶるような深い緑が広がって
いた。起伏が多く、整備もされていない、荷馬車の轍と石ころだらけの道を、兄弟は楽しげに
進んでいく。
 丘のてっぺんに上りきってしまうと、なるほどエドワードの言ったとおり、ぽつぽつと人家
が見えてきた。見えてはきたが、村の人口密度は如何ほどなのかと問いたくなる風景には
違いない。しかも、完全に陽が落ちてしまったあとに、街灯やこれといった目印もない道程
を駅まで辿れる自信は、はっきり言ってマックスには無かった。冗談抜きで、単独行動を
とったら最後、遭難してしまう。
 そのまま兄弟に遅れをとらないよう、一歩下がった位置をキープしながら、歩くことしばし。
枝道が次第に少なくなり、ついに一本になった先に、二階建ての家が姿を現した。
「お疲れさま、マックス。あれが僕らの家だよ」
 前方を指し示したアルフォンスが、明るい声を出した。普段から優しい音楽的な声で喋る
彼の、一層優しく丸みをおびた言葉の響きが妙に耳にくすぐったくて、マックスは曖昧に
頷いた。前方の兄弟は何事かを囁きかわし、兄が小走りにポーチに駆け上がって、玄関の
扉を開く。そして家の中にむかって、当然のように「ただいま」と呼びかけた。
「誰か居るんですか」
 面食らったマックスに、ネズミくらいは居るかもしれないね、とアルフォンスが笑顔になった。
「僕ら、子供の頃二人暮ししてたから。夜遅く帰ってきたりすると、自分の家でも真っ暗で
少し怖いじゃない?だから、大きな声でただいまって言って、わざと音たてながら入ってた。
その名残かな」
「はあ…なるほど」
「おーい、おまえら何立ち話してたんだよ」
 いっこうにポーチに上がってこようとしない二人へ、エドワードが呼びかけてきた。
「早く来いよ、腹減った!メシの支度もしなきゃいけねえんだぞ、メシメシ」
「出た、腹減り怪獣のメシ連呼」
 ちいさく笑って、アルフォンスはマックスを促した。ポーチで待ち構えていたエドワードが、
友人と弟と、両方の腕をつかんで家の中へと導く。マックスが何かを言う前にドアは閉じられ、
兄弟は口を揃えて「ようこそいらっしゃい」とのたまった。
「うわー、どの口で言うんだろう…」
「この口とこの口で」
「俺が騙されてここへ連れてこられたって、ひょっとして忘れてませんか、中佐」
「あ、マックス、コートはとりあえずその辺に放り投げとけよ。あとでハンガーもって来るから」
 問いかけを故意に無視したまま、ここがキッチンであっちがトイレでこっちが客間、二階には
自分たちの部屋、とひととおり説明をすませたエドワードは、所在なげにリビングの真ん中に
突っ立っている友人を振り返り、わざとらしく両腕を広げた。
「で、今日からおまえは、ここで俺たちと一緒に四日間の休暇を過ごす!」
「…あの、すみません。いつのまに誰の許可を得て決定されたんでしょうか」
「いつのまにか俺の独断で、アルが外出届をるんるん偽造した」 
 満面の笑みでそう返されて、マックスは肩を落とし、隣のアルフォンスは苦笑する。るん
るんってあんた、年はいくつだ。
 しかし、少なくとも今夜、ここで眠ることが決定事項なのはマックスにも分かった。リゼン
ブール村に降り立ったとき、駅舎に掲げられていた時刻表に、18時以降の中央方面行きの
汽車の発着時刻が、記されていなかったからだ。まさか羊を乗り継いで南部まで戻るわけ
にはいかないだろう。もちろん兄弟はそれらすべてを計算に入れて、この時刻にリゼンブール
入りするよう、チケットの手配をしたわけだ。
「ほんとに計画的だなあ…」
「さすがのおまえも、こんな田舎じゃ手も足も出ないだろ」
「あなたたち相手じゃ、場所がどこだって手も足も出ませんよ」
 そう返しておいて、改めてマックスはぐるりと周囲を見回した。部屋の空気はしんと冷え
切っているが、家具類の上に埃は見当たらず、床もきれいに磨かれていて、 つい最近、
誰かがここへ来て掃除をしたらしい気配がうかがえる。
 いい家だな、と直感的にそう思った。こじんまりとしたポーチからは、なだらかな丘へと
続く、細い小道がよく見える。使い込まれ、きれいに整頓されたキッチン。明らかに弟が
指揮をとって整えたに違いない、素朴でシンプルなリビングには、いかにも兄がなついて
離れそうにない、大きめのソファ。
 中央、そして南部国境へ異動となってから、ここへは年に二度ほどしか戻って来ていない
はずだが、この空間は訪れた人間をやわらかく受け止めてくれる、穏やかな暖かさに満ちて
いた。 
「なんだか、不思議な気分ですね。あなたたちの実家に行くことになるなんて、思っても
みませんでした」
「残念ながら生家じゃねえんだけどな」
 猫のように目を細めて、エドワードが複雑な笑みを浮かべた。マックスはそれへ頷き返した
だけで、大きな掃き出し窓の向こう側へと視線を投げる。そのまま窓の外の風景に見入って
いると、いつの間にか隣にやってきたエドワードに、コートの袖を引かれた。
「で?」
「はい?」
「おまえ、ここで休暇を過ごす気にはならねえ?」
 くるくるとよく動く金の瞳に、ほんの僅か、不安げな色がちらついている。マックスは少し考える
そぶりを見せたあと、コートからゆっくり袖を抜いた。 
「ここの空気は、体には良さそうですね」
 とたんに兄弟が歓声をあげたので、思わず苦笑する。今さらながら、この兄弟の素直すぎる
反応には、つくづく弱い。
「そんなに喜ぶことですか」
「だって、ほんとに羊と緑しかねえとこだし、帰られちゃうかと思ってて」
「確かに、散歩のしがいはありそうですけどね」
「あんまりフラフラしてっと、羊に轢かれるぜ。それと、今は休暇なんだから、もう敬語は無しで」
 エドワードがまた笑った。今度のそれは、明るい悪童の表情だった。



 翌朝は、鳥のさえずりで目が覚めた。
 カーテン越しの陽射しは優しく、空気は澄んで、きりりと冷えている。
 いつも枕元に置いてあるはずの時計をさぐった指先が、何の手ごたえもなく空をかいて、
それと同時にマックスは、自分が上官兄弟にまんまと騙されたあげくリゼンブールの彼らの
自宅へ拉致――ではなく一応招待――された事実を思い出した。
 筋金入りの低血圧で、起床してからまる一時間は脳味噌がまったく働かない自分と
しては上出来だが、これほどすんなりと覚醒できたということは。
「……何時間寝たんだ?」
 声に出しながらカーテンを開けると、思ったとおり、陽は既にかなり高くなっていた。昨晩
兄弟とともに上ってきたなだらかな丘が、右手の方向に見えている。この家自体が小高い
場所にあるうえに、眼前に視界を遮る物は何も無いので、窓からは村のはるか遠方までが
一望できた。起伏の多い土地、特徴的な低く長い石積み。ゆるゆると移動していく白いもの
は、遠すぎて判然とはしないが、おそらく羊の群れだろう。
「マックス、入ってもいい?」
 背後から、控えめなノックの音がした。
「どうぞ」
 返答から一拍おいてドアが開き、にこやかに現れたのはアルフォンスだった。24時間
どんな時間に目撃しても大概爽やかな彼だが、朝一番はさらに二倍増しで爽やかだ。
ざっくりとしたニットにデニムを合わせたラフな服装で、軍服姿のときよりもぐっと年齢が
下がって見える。
「おはよう、さすがに起きてたみたいだね」
「おはよう。多分寝すぎだよね、今何時?」
「10時半、ちょっと過ぎてるかな」
「え!?」
 思わず訊き返してしまった。昨夜は長旅で疲れたからと、酒も飲まなければ長話もせず
に、3人ともが早々に部屋に引き上げて、ベッドに入ったのは確か夜の11時を少し回った
頃だった。ということは、あやうく12時間惰眠をむさぼるところだったのか。
 南部国境で、夜9時に寝付いて翌朝7時まで寝くさっているエドワードを捕まえては、
寝すぎで目玉が腐り落ちるの、脳味噌が溶解するのと説教している日頃の自分が
恥ずかしい。
「いいじゃない、たまには。南部に異動してから、一切仕事抜きの休日なんか無かった
だろ。ここに居るときくらい、寝たいだけ寝たら?」
「いや、俺、それやると昼間の活動時間がどんどん短くなるんだよ。明日からは目覚まし
時計借りていいかな」
「夜行性動物みたいだなあ。分かった、後でここに時計持ってくる。…それとこれ、はい」
 目覚ましの貸与を快諾してから、アルフォンスは上下一式揃えた服を、マックスに差し
出した。
「え?」
「騙して連れてきちゃったから、着替えがないだろ?僕の服で良かったら」
「ああ…そうか、ありがとう」
 元々宿泊込みの視察という話だったので、下着と予備のシャツは持って来ているが、
軍服以外に替えの服は無い。そもそも普段着を何枚か持参しろなどと言われたら、マッ
クスでなくともその時点で、行き先に不審を抱く。
 しかし、アルフォンスとマックスの服のサイズはほとんど同じはずだから、数日間なら
借り物だけでも不自由することはないだろう。まったく何から何まで、兄弟の側に有利
になるような条件が揃いすぎだ。
 着替えをすませて階下に降りると、リビングのソファに腰掛けて本を読んでいたエド
ワードが、「よう」と片手を上げた。
「おはよう、エド」
「おはよ。飯どうするよ?じき11時になっちまうから、ちょっと早めの昼にすっか」
「いや、昼は君たちに合わせるよ。コーヒーだけもらえないかな、自分で淹れるから」
「おまえは今はお客さんなんだから、そこ座ってろよ。…アル、マックスがコーヒー欲し
いって」
「結局アルに淹れさせるんじゃないか」
 自分で動こうとしないエドワードに苦笑しながらも、腕を引かれてリビングのソファに
腰掛ける。
「少し古いけどいいソファだね、これ」
「だろ?昔は半分俺のベッドみたいなもんだったんだ」
「ああ…例の療養時代とかの?」
「そうそう」
 兄弟とマックスとが知り合う前の、ある一時期、エドワードがひどく体調を崩し、リゼ
ンブールで療養生活を過ごしていたのだと教えてくれたのは、エルリック兄弟の古い
知り合いであるマスタング将軍だった。タフで喜怒哀楽が激しくて、一時もじっとしてい
ない印象の強い現在の姿からは想像もつかないことだが、全快までには数年を要し、
生死の境も何度か彷徨ったのだという。
 エドワードが一体どんな病を患って、そんなにも長期の療養を必要としたのか、何を
もってここまでめざましい回復をとげたのか、マックスは知らない。話が詳細に及ぶと、
将軍以下のいわゆるマスタング組も、当の兄弟も、ふつりと言葉を切ってしまう。 
 しかし、明かしていない過去があるのはお互い様だから、特に追及しようとは思わな
かった。すべてを明かさなくとも、友人ではいられる。人と人との繋がりには様々な形
があって、何もかもぶちまけなければ気がすまない人間もいれば、共有する部分が
ほんの少しでいい人間もいる。自分たちはたまたま、後者であるだけの話。 
「はいマックス、コーヒー。少し濃い目にしといたから」
「ありがとう」
 礼を言って受け取り、口をつける。軍のコーヒーとは、天地ほども差のある味と香り
が、起き抜けの体の隅々まで染みとおってゆくようだ。
「久しぶりにこんな美味いコーヒー飲んだ。リゼンブールに来てよかったかも」
「コーヒー一杯でそう思ってもらえると、嬉しいなあ」
「あれえアル、俺のは?」
「兄さんはさっき飲んだばっかりでしょ。欲しけりゃ自分で淹れてきて」
「うっわー、何それ、冷たーい」
 口を尖らせながらも、それ以上ごねたりはせず、エドワードがキッチンの方へと
立ってゆく。そんな兄の背中に少し笑ってから、アルフォンスはマックスに向き直った。
「お昼すませたら、午後から兄さんの機械鎧のメンテも兼ねて、ロックベルの家に行き
たいんだけど、マックスも一緒に来ない?」
「ウィンリィさんの家だね」
 兄弟の幼なじみだという機械鎧技師には、マックスも一度だけ会ったことがある。
以前、エドワードが部下を庇って右腕の機械鎧を破損したときに、わざわざ南部のダブリス
まで出張修理に来てくれた。技術料と出張費に加え、意味不明の特別手間賃までふんだ
くられたとエドワードは不平を鳴らしていたが、どれだけ彼女の存在と腕前を信頼しているか
は、傍で見ているだけでもよく分かった。そして、この兄弟に、お互い以外にこれほど無条件
の信頼関係を結んだ人間がいるという事実に、少なからず驚いた。
 エルリック兄弟の、一種尋常ではない結びつきの間に割って入れる、稀有な存在。
血の繋がりは無くても、おそらく彼女は彼らにとって、本物の家族なのだろう。妬ましいと
は感じなかったが、ほんの少しだけ羨ましい気はした。兄弟には秘密だけれど。
「俺は行ってみたいけど、先方に迷惑じゃないかな」
「ロックベルの家は義肢装具屋と外科病院を兼ねてて、元々千客万来の家だから平気だよ。
ばっちゃんにもマックスのこと紹介したいし」
「ついでに飯たかって帰ろうぜ。久々にばっちゃんのシチュー食いてえ」
 キッチンからすかさずそう付け加えたエドワードに、兄さんは本当に食べることばっかり
だよとアルフォンスが頭を抱え、マックスは久しぶりに声をたてて笑った。